史跡クラブ、2月の「曽我別所梅林と小田原城」行程のお知らせ

2月9日(金)の「曽我別所梅林と小田原城」の詳細が決まりました。

        校友会 史跡クラブ 行程表          
日程      2月9日(金)      ≪雨天決行≫              
活動場所    曽我別所梅林 ~ 小田原城
集合場所    東武東上線池袋駅南口改札前
集合時間    8時30分(時間厳守)
費用概算    交通費:¥3,790(IC) 入館料他¥1,000
行程概要(午前)JR池袋   8:57 ~ JR国府津 10:24
               (JR新宿湘南ライン)
        JR国府津 10:27 ~ JR下曽我 10:31
              (JR御殿場線)
        徒歩15分 ~ 曽我別所梅林 散策
        JR下曽我 12:06 ~ JR国府津 12:11
        JR国府津 12:17 ~ JR小田原 12:24
              (JR東海道線)
    (昼食)小田原駅近くのお店予約予定
    (午後)小田原城 見学(ガイドさんの案内)
        小田急小田原 15:43 ~ 新宿 16:58
                (小田急ロマンスカーはこね30号)
        17:30 池袋で解散                   

●鎌倉時代初めの有力御家人、土肥実平の嫡男で早川荘の総預所となった小早川遠平が築いたのが最初と言われている。室町時代の応永23年(1416)上杉禅秀の乱がおこり、土肥一族も加担し敗れ、勝者の戦功として扇谷上杉憲方の家臣、大森頼明がこの地を賜った。明応4年(1495)伊豆韮山を本拠としていた伊勢平氏を称する伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)に急襲され奪われた。以後北条氏の居城となり、土塁と 空堀で大規模に取り囲む(現在の小田原市街全体)程の拡張整備がなされ、氏綱・氏康・氏政・氏直と5代に亘り、相模国から北関東迄を支配するようになった。難攻不落で知られ永禄4年(1561)には上杉謙信、永禄12年(1569)には武田信玄の大軍を撃退したが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐で21万の大軍に囲まれ開城し、北条氏は滅亡した。徳川家康が関東に国替えとなった際、西への備えとして重臣大久保忠世を入場させたが、江戸時代に入ると逆にその大きさを嫌い、2代忠隣に規模を縮小させた。忠隣の時に大久保は一時失脚するが、幕府直轄や阿部正次、稲葉家3代を経て再び大久保氏の居城となった。以降10代182年、明治維新まで続いた。明治に入り俗にいう「廃城令」によ、城の大半は取り壊された。大戦後小田原城址公園として整備が始まり、昭和35年(1960)には天守が復元し、その後常磐木門・銅門・馬出門が復元されている。天守閣は2016年5月、大改修が終了し再公開された。   

●曽我と梅林 曽我の里は、日本三大仇討の一つとして有名な「曽我物語」の曽我兄弟(五郎・十郎)ゆかりの地です。兄弟の母、満江御前のお墓や、二宮尊徳遺髪塚もあります。北条氏の時代、梅の実を兵糧用にするため城下に多くの梅ノ木が植えられました。江戸時代の大久保氏も梅の栽培を奨励し、箱根越えの旅人の必需品として梅干しが重宝され、現在も小田原の名産となっている。

※  持ち物等  歩き易い靴・健康保険証・雨具・カメラ・飲料・スイカ/パスモ     
   連絡先      丸田純一(携帯)                              

 

カレンダー

情報の分類

オープン | クローズ