史跡クラブは、梅雨の切れ間に奥浅草~向島を巡ってきました。

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史跡クラブは7月10日(水)、浅草寺を振り出しに、普段あまり足を運ばない奥浅草を散策し、大川(隅田川)を渡り墨東向島を巡ってきました。
浅草寺はちょうど「ほうずき市」で、仲見世・境内はいつもに増して大賑わい。7月10日は四万六千日といって、その日に参詣すると46,000日(約126年)分の功徳が得られ、その参詣者を目当てに境内に「ほうずき市」が立った。ほうずきの実を丸呑みすると癪(しゃく)の病や腹痛にきくといわれていたそうです。

本堂横の江戸の初期に建立された二天門(国の重要文化財)を抜けると、そこは花川戸。江戸の頃は観音裏と呼ばれ、浅草でも一番の繁華街で、歌舞伎の花川戸の助六や小説・舞台で有名な幡随院長兵衛や河内山宗俊、そして幕末には町火消しで香具師(やし)の親玉の侠客新門辰五郎等が活躍した所です。更に進むと旧猿若町、江戸歌舞伎の猿若三座(中村座・市村座・守田座)が軒を連ねていた場所です(今は小さな碑が残るだけ)。

次は待乳山聖天院。待乳山は東京で一番低い山(約10m)といわれているが、周りは昔海だったところなので10mでも高く見え、風光明媚な処として文人墨客に愛された。聖天様に大根をお供えし(1本¥200)、心の毒を清め、夫婦和合をお願いしてきました。鬼平犯科帳で有名な作家池波正太郎の生誕地としても知られている。続いて招き猫発祥の地といわれている今戸神社から、隅田川唯一の歩行者専用橋、桜橋を渡って向島へ。

昼食はカウンター席まで天ぷらそばが「いかだ」で運ばれてくる、いかだ流しそばを。珍しいだけでなく、味も美味しかったです。食後は江戸時代から続くスウィーツを頂きました。在原業平の歌にちなむ「言問団子」と、本所・向島を扱う物語や小説等には必ず出てくる長命寺山本やの「桜もち」。団子は店で食べ、桜もちはお土産にしました。

午後は墨堤通り沿いに下り、いんげん豆の隠元禅師が開祖の黄檗宗の寺院弘福寺から三井・越後屋が守護社とした三囲(みめぐり)神社、本所の総鎮守牛嶋神社を巡り、吾妻橋を渡り浅草に戻り、池袋で解散しました。

待乳山聖天院にて

晴天とはいきませんでしたが、時々日も差す梅雨の切れ間の一日を楽しく過ごしてきました。

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