9月26日の「高麗神社~巾着田」行きの詳細が決まりました。
校友会 史跡クラブ 行程表
日 程 9月26日(火) ≪雨天決行≫
活動場所 高麗神社 ~ 巾着田
集合場所 川越駅JR改札前
集合時間 8時30分(時間厳守
費用概算 交通費:約¥1,200
行 程
(往 路) JR川越 8:52 ~ 高麗川 9:16
(JR川越線)
~ 9:30 高麗神社 ~ 高麗家住宅 ~ 聖天院
(徒歩)
~ 高麗川12:00 ~東飯能 12:06/12:16
(JR八高線)
~ 高麗 12:22 ~ 巾着田
(西武池袋線) (徒歩)
(昼食) 高麗駅及び巾着田周辺にて自由食
(帰路) 高麗 15:24 ~ 東飯能 15:29/15:50
(西武池袋線) (JR八高線・川越線)
~ 川越 16:17 (解散)
〇高麗神社と高麗王若光
古代から朝鮮半島北部に勢力を張っていた高句麗が、唐と新羅の連合軍に攻められ668年に滅亡し、多くの人々が難民として渡来した。716年に朝廷は武蔵国に高麗郡(日高・飯能・入間・狭山・鶴ヶ島等)を設置して、以前から関東各地に点在していた、高句麗からの帰化人たちを移住・入植させ、未開のこの地の開拓をおこなった。その際、滅亡前から使節として来日していた若光に「王(こきし)」の姓(かばね)を賜い、郡の首長として治めさせた。若光の没後、郡民は若光の徳を偲び霊廟を建て、高麗明神と崇めたのが、高麗神社の起こりとされている。
〇高麗家住宅と聖天院
高麗神社の神職を代々務めてきた高麗家の住宅で、慶長年間(1596~1615)の建築と伝えられ、東日本の民家の中では古い形が残る極めて貴重な例として、国指定の重要文化財に指定されている。老朽化が進んだため昭和51年に全解体後、修理復元された。聖天院勝楽寺は高麗若光の菩提寺として天平勝宝3年( 751)に創建された。天正8年(1580)に、真言宗の寺院として中興され現在に至っている。
〇巾着田
高麗川の蛇行により作られた地形で、 近くの日和田山から眺めると巾着のように見え、8世紀に開墾した高麗人が稲作を伝え、水田が広がっていたためその名がついた。 現在では500万本の日本一の彼岸花(曼殊沙華)の群生地で秋には多くの観光客で賑わう。
※ 持ち物等 歩き易い靴・健康保険証・雨具・カメラ・飲料・スイカ/パスモ
連絡先 丸田 純一